実際のところ、伊奈帆が言うほど戦争というのは簡単なものではないのではないか、と聞いた時には感じましたが、いろいろ考えるうちに、「目的を達するか、目的に見合わぬ犠牲が出れば、戦争は終わる」というのは真理のひとつと言ってもよく、この作品が言いたかったことなのではないかという気がしてきました。
『アルドノア・ゼロ』は、サラエボ事件から始まります。……と言うのも、1914年6月28日に事件があってからちょうど100年であり、世間で取り上げられる機会も増えていたので、制作側がこのことを意識していないはずはないでしょう。実際にサラエボ事件が起こった後、20世紀の世界は大量殺戮が行われるすさまじい時代に突入していくわけですが…… この作品がこうして始まる以上、作品で描かれることと現実の問題をリンクさせて考えていくことが求められているのではないか、という気がしました。
封建主義の帝国や、資源や領土を求める侵略戦争、地球人を蔑む選民思想などを見て、極端なファンタジーだと感じられるかもしれませんが、つい数十年前までは普通に現実に存在していた話ですし、今だって自分たちに逆らう者は皆殺しにするような集団が中東で跳梁跋扈しているのですから。また、皇族の戦争責任という問題は、わが国にとっても他人事ではない微妙な問題であります(ザーツバルムのように恨みを抱いている人間だっているかもしれません)。
では、この作品では、戦争に対してどのような考え方が提示されているのでしょうか。戦争の悲惨さや身近な死、戦争に翻弄される若者たち…… といったテーマはいろいろな作品で繰り返し触れられてきたことなので、それ以外について見てみたいと思います。
まず、人々がいくら平和な世界を作り上げようと努力し、手を尽くして秩序を構築しても、わずかでも戦争を望む者がいれば戦争は始まってしまう、ということです。
サラエボ事件の場合も、犯人たちは民族主義的な動機だけではなく、戦争を通じて共産主義革命を実現しようとしていたという話があるようですが、ビスマルクなんかが必死に作り上げた勢力均衡の上に成り立っていた平和は、同盟規約による各国の自動的な参戦によって簡単に崩れ去ったのでした。そして大戦中にロシアで起きた革命で社会主義国家が成立し…… という展開をたどるのは周知のとおりです。そういう意味では犯人たちの目論見は成功したと言えそうです。
本作の場合、アセイラム姫の暗殺事件をきっかけに火星側は戦争を開始するのですが、暗殺の首謀者であるザーツバルムは皇族に対して恨みを抱いており、おそらくは戦争を通して皇族を破滅させようとしていました(もしかしたらクーデターを起こす気だったのかも)。また、火星側は地球の豊かな資源や領土を欲しており、何とか開戦したいと手ぐすねを引いていました。開戦の口実を作り上げ、皇族に対する復讐を果たしたザーツバルムは、ある程度目的を果たしたと言え、満足して死んでいったのかもしれません。
ここから考えるのは、戦争が起こる可能性をゼロにすることはできないのではないか、ということです。犯罪を完全になくすことができないのと同じで。外交努力を重ねて戦争が起こらないようにすれば軍隊は不要である、という考え方もありますが、犯罪がなくならないので警察をなくすことができないのと同じで、疑問です。外交に失敗して戦争が起きてしまったら、それまでの運命と思ってあきらめるしかない、他人を殺して生き残るより自分が死んだ方がましだという場合、死にたくない、他人を殺してでも生き延びる!という人に、死を強制できるのかという問題があります。
もうひとつ作品から見えることは、戦争がいったん始まってしまったら、個人の力ではどうにもならない、ということです。驚異的な洞察力と冷静な判断力で修羅場を切り抜けてきた界塚伊奈帆も、自らが戦争の引き金となったために戦争を止めようと奔走したアセイラム姫も、結局は銃弾に倒れました。スレインも、アセイラム姫を助けられませんでしたし。
では、そんな彼らにとっての「正義」とは何だったのでしょうか。本作では、"LET JUSTICE BE DONE, THOUGH THE HEAVENS FALL." という言葉が随所に出てきますが、これはラテン語の法格言 "
Fiat justitia ruat caelum" (たとえ天が落ちるとも正義を為さしめよ)からきているようです。
伊奈帆にとっては、家族や友人といった身近な人たちを守るために、自分の立場で出来る限りのことは何でもする、ということではないでしょうか。アセイラム姫を「利用」する、としたのもその一環で、たまたま近くに戦争を止めることができるかもしれない立場の人がいたから、そうしてもらおうとしたにすぎないのでしょう。もっとも、彼女も伊奈帆が守らなければならないと感じていた人の1人になっていったのも確かなのでしょうが。
アセイラム姫にとっては、火星と地球のいがみ合いを止め、友好関係を築きたいというのが基本的な考えでした。しかし彼女が地球を訪問することは友好的な雰囲気を醸成するには役立ったかもしれませんが、その後どうするのかを彼女がどう考えていたのか、結局聞くことはできませんでした。火星側は隙あらば地球の資源と領土を手に入れたいと渇望しており、戦争を始める口実を探しているような状況でした。地球側にとっても、地球人を皆殺しにすることもいとわないような連中が喉元に刃を突き付けているような状況で、友好も何もあったものではないでしょう。
本当に友好関係を築きたいとするのであれば、火星の敵対的な態度と選民思想を改めさせるとともに、地球側からも譲歩を引き出し、食糧や資源を十分に入手できるような体制を作らなければなりません(ザーツバルムは領民の困窮を案じていましたが、皇族だって当然、国民の生活を考える必要があります)。そのためには、地球側にアルドノアの技術を開放することも視野に入れなければならないでしょう。彼女がそこまで考えていたのかは疑問です。また、ヴァース帝国が地球側の支配に対抗するために建国されたのであれば、地球と友好関係になろうなどと(それも皇族が)言いだすのは、国是に反するのではないでしょうか。そうだとすると、彼女が命を狙われるのは時間の問題だったのかもしれません。
スレインはわかりやすいですが、国や戦争のことなどは基本的にはどうでもよくて、アセイラム姫を何とか救いたいと思い、そのためにその時々で最善と考えることをしてきたわけです。皇帝に停戦を進言したのも、姫を捜索しやすくするためにすぎません。スレインは地球人だというので火星の連中から虐げられてきましたが、そのことを何とも思っていなかったわけはありません。アセイラム姫に命を助けられ、彼女がいたからこそ、やってこられたのでしょうから、その姫を助けたいと思うのは当然のことですし、何も間違ってはいません。でもね…… スレインがやったことはことごとく裏目に出てしまったようです。
正義を為すのはかくも難しい。
さて、「目的を達するか、目的に見合わぬ犠牲が出れば、戦争は終わる」という見解についてですが、最初聞いたときは、そんなに簡単で合理的なものではないだろうと思いました。現実には民族・宗教紛争では特に、互いに憎悪が増幅しあって泥沼になっていきますし、太平洋戦争においては、大日本帝国は勝ち目のない戦争をやめられない状況になって、あまりに大きすぎる犠牲を出しました。
ただ、この考え方は物事を冷静に考えるためには良い見方のようにも思えるのです。最近そのことを実感したのは、イスラエルと戦闘を繰り広げていたイスラム原理主義勢力が、停戦を受け入れたことです。双方とも相手の存在を決して認めず、泥沼の民族・宗教紛争の代表例ともいえるこの事案で、泣く子も黙る過激派武装勢力が停戦に応じたのはなぜなのか…… それは幹部が皆殺しにされるのを恐れたからでした。結局彼らも「見合わぬ犠牲が出る」ということを恐れたわけです。
本作で火星側が戦争をやめたのも、おそらく犠牲が大きすぎると判断したからです。伊奈帆たちが火星の騎士を何人も倒し、主戦派の急先鋒であったザーツバルムが死んだとはいえ、2話の冒頭で暴れていたような連中はまだ生きているでしょう。しかし貴重な人材をこう何人も失ったのでは、帝国の体制も危なくなると考えたのかもしれません。
「戦争なんて所詮は外交の延長であり、損得で動く。恨みつらみや憎しみなんてのはその次に来るにすぎない、くだらないものである」という考え方は、意外にも泥沼の戦争や対立を終わらせるには有効なのかもしれない、と思えてきたのでした。
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