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●五項目の自主規制
ショスタコーヴィチ作曲の交響曲第14番「死者の歌」を聴きました。アシュケナージ指揮、NHK交響楽団による演奏です。アシュケナージとN響の組み合わせは毎週「N響アワー」を見ているので馴染み深いです。ショスタコーヴィチ生誕100年だった2006年の録音。
この曲はソプラノとバスの独唱・二重唱で進んでいくので、「交響曲」というよりは、オーケストラ伴奏による歌曲のような感じです。マーラーとかがやっていた手法ですね。でもこちらの楽器編成は小規模な弦楽合奏と数種類の打楽器のみ。それでいて非常にドラマティックで豊かな表現で魅せてくれる曲です。
特に、第2楽章から第8楽章までのアポリネールによる詩の部分が聴きどころ。打楽器が効果的に使われ、チェロ・コントラバスの低音が劇的に響いてきます。第2楽章「マラゲーニャ」から第3楽章「ローレライ」へのつなぎなど、非常にうまいと思いました。
ショスタコーヴィチの交響曲といえば、スケルツォ楽章のひねくれた雰囲気、だと個人的には思っています。この曲にはスケルツォはないですが、諧謔的な曲を書かせたら、ショスタコーヴィチの右に出るものはいない(笑) 第5楽章「覚悟して」〜第8楽章「コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェ・コサックたちの回答」あたりにその雰囲気がよく出ています。第11楽章の終結(オチ?)も圧巻。
ショスタコーヴィチの声楽つき交響曲はほかにもありますが、終始陰鬱な第13番「バビ・ヤール」よりもこちらのほうが聴きやすいかもしれません。各楽章も手ごろな長さですし…… タイトル通り「死」を扱った深刻な曲なのですが、非常におもしろく聴くことができました。
ショスタコーヴィチ生誕100周年の今年も、半分以上過ぎてしまいましたが、CDは交響曲も全部揃っていません…… トホホ。
今回は交響曲第13番「バビ・ヤール」です。ショスタコーヴィチは、ソ連の抑圧的体制下にあってかなり苦悩しながら創作活動を行っていました。本作は、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺を弾劾しつつ、実はソ連の抑圧的体制を批判しているという、ショスタコーヴィチの真骨頂とでもいうべき作品です。そして音楽もかなり強烈。
「交響曲」ですが、全体は管弦楽伴奏のバス独唱・男声合唱によって進んでいきます。歌詞は、第1楽章でユダヤ人虐殺を批判し、第2楽章でユーモアの強さを皮肉たっぷりに描き、第3楽章で辛い女性の生活を歌い、第4楽章では恐怖政治を批判、第5楽章で真理を唱える勇気をたたえる内容。
ショスタコーヴィチの交響曲は全体的に暗く陰鬱な印象がありますが、この曲は起伏が大きく、ある意味生き生きとした感じです。もちろん、それは明るいものではないんですが。そしてどの曲でも皮肉たっぷりに聞かせてくれるスケルツォはこの曲の第2楽章でも健在です。
旋律はそれほどドラマティックでも感動的でもないのですが、あの時代に、こういった内容の曲がつくられたということだけでも意義があるのかもしれません。その意味では強い印象を残す曲です。
タワーレコードの特別盤を購入。キリル・コンドラシン指揮、バイエルン放送交響楽団・男声合唱団の演奏。コンドラシンは、本作の初演を指揮した人です。
さて、よくわからないショスタコーヴィチ交響曲シリーズですが(ヒドイ)、今回はスターリンの死後初めて書かれたという交響曲、第10番です。かといって明るく楽しい曲になるはずもなく、やっぱり(期待通り)暗く重い雰囲気に包まれています。
しかし想い人のイニシャルを曲中で鳴らしたりと、ちょっとお茶目なところもあります。聴いているほうには分からないんですけど。第1・第4楽章の響きは結構いいと思いましたし、4分少ししかない第2楽章のスケルツォももう少し聴かせてほしいところでした。
毎度難解なショスタコーヴィチ交響曲シリーズですが、初期の傑作と言われる第4番です。3つの楽章があり、第1楽章が28分、第2楽章が9分、第3楽章が26分という演奏時間で、かなり特異な構成と言えます。
人を食ったような曲も多いショスタコーヴィチの交響曲ですが、第4番は結構いいんじゃないでしょうか。マーラーを思わせる大編成を用いるせいか、重厚な響きが印象的。曲も格好良くリズムを刻んでいきます。スケルツォはショスタコーヴィチお得意の冷笑的な感じがします。
ショスタコーヴィチのは曲は良いのですが、感想書くのは難しいですね。1回聞いただけでは十分にはわからないのかも。
2006年は生誕250年のモーツァルトが目立っていますが、もう1人アニバーサリーの人が。このショスタコーヴィチです。ショスタコーヴィチは昨年没後30年だったのですが、今年は生誕100年という節目。昨年あまり聴けなかった分、今年CDを揃えていきましょうか。
ショスタコーヴィチと言えば、有名なのは交響曲ですが、どれも解釈が難解な感じです。ソ連の抑圧的な体制の下で作曲活動にも自由がなかったことが関係しているのですが。交響曲第6番は3つの楽章から成っていますが、半分以上は第1楽章。ゆっくりした第1楽章が終わると、第2楽章のスケルツォで妙に盛り上がり、第3楽章ではじけて人を食ったような終わり方。葛藤→打ち克つ→盛り上がって締め という、よくある形式とはずいぶん変わっていますが、無理に人を感動させようとはしていない感じです。
第12番は『1917年』(革命があった年)というタイトルの通り、「体制に迎合した」として批判的に評価されることの多い曲だそうです。確かに暗〜い音楽が続いた後に、第4楽章のファンファーレで華々しく終わる曲です。でもどこか「屈託のない明るさ」とは違う印象を受けます。
ショスタコーヴィチの交響曲は今までに何曲か聴きましたが、どれもなんだか陰気な印象を受けるんですよね。やっぱり抑圧的な体制下での作曲を強いられたことが影響しているのでしょうか。